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問題提起:黒船建造・開国提言
   (日本の教育鎖国を解こうとするドンキホーテの夢)

1.過去10年の環境変化の結果、日本の企業社会で求められる人材像が大きく変化した。一言でいえば、受身のサラリーマンから自律的な起業家・プロフェッショナルへの変化である。あるいは、(日本でのみ通用する)ローカル人材からグローバル人材への変化である。

2.他方、教育、家庭、企業、地域社会等既存の仕組みは、依然として受身人材を生みだすようにできている。残念ながらグローバル人材や起業家、プロフェッショナル人材を生み出す仕組みとなっていない。

3.要するに、人材ニーズが変化したにもかかわらず、人材供給サイドの変化がおきていないために、人材ギャップが生じた(タレントギャップとよぶ)。
私は、過去10年あまり、経営コンサルタントとして日本企業や在日外資系企業に勤める人達について、インタビューや質問票を用いた人材アセスメントをする機会に恵まれた(でも結局「失われた10年」にたいしたことができなかったことは忸怩たる思い)。私や私の同僚の目からみて、日本起業のサラリーマンの中で、グローバル人材とか自律的人材という基準をクリアできる方は、残念ながら数パーセントである(単に与えられた仕事を「作業」としてこなしている作業者がほとんどで、思考・行動の最前線で「実践」をしている人は稀)。特定企業で、かなりいい線をいっているという方を人事部の方に選んでもらってたとえば50名インタビューして、グローバル・自律人材のラインをクリアできるのはせいぜい3、4名である。

4.それでも、企業は、おそまきながら「変革」をはじめているからまだましだ。実際に実行できているかはともかく、少なくとも、意識の面では、「これからは起業家的人材やプロフェッショナル人材にもっと活躍してほしい」とか「そういう人材にもっと報酬をだす」とか「そういう人材を育てたい」という声はきかれるようになった。

5.ところが、家に帰って、わが子供達(9歳、11歳)の教育に目を向けると(日本での話です)、そこは企業社会の変化とは全く縁のない世界、であることに、いまさらながら気付く。それは、国際的な変化から完全に隔離された現代版「鎖国の世界」だ。教育の世界は、私が子供だったころと、本質的なところは何も変わってはいない。私の子供やその友達は、依然として、一流大学・一流企業にはいることを目的とした受験プロセスに放り込まれている(あるいはそこから落ちこぼれる)。仮に受験教育が成功して、はれて一流大学にはいって、一流企業に就職しても、それは、もはや「幸せな成功」の道でないことを、世の中の多くのお父さんやお母さんは、感じ取っているはずなのに、何もなかったかのように、かつての教育を続けている。
いや、もっと正確にいえば、子供の将来については、そろそろ「期待像」のレベルで不響和音がきこえだした。一流大学にいってほしいと願う母親、大学もさることながら「プロ」になってほしいと期待する父親、そして、敏感な感性で世の中の変化を感じ取る子供は、「こんな勉強して何かいいことあるの?お父さん、自分の人生に自信あるの?」と。
確かに、教育に何か問題があることは、皆気付いている。
例えば、「教育改革」の掛け声は、ずっとかかりっぱなしだ。しかし、親としては、「教育改革が進んでいくから自分の子供達の将来は大丈夫だ」を安心するわけにはいかない。そもそも教育改革なるものは、長期的なものの典型で、なかなか実施されない、だろう。むしろ、これだけ時代が変わったにもかかわらず「ユトリ」とか「個性化」といった一昔前の掛け声を、いまだかけつづけていることは驚きでさえある。文部大臣は、「ユトリ教育という方針は、変えない」、と明言している。ユトリ教育という発想は、日本が世界のナンバーワンといわれていた80年代後半の話ではないか。勝ちすぎで余裕をもっていた過去の日本で生まれたスローガンだろう。今、没落しつつあるなかで、同じ処方せんを唱える人を信頼できますか。IT・バイオ革命が進行している中で、日本の国の政治とか既存のエリートたちは、植物人間化しつつある。特に、教育関係者に、国際的な競争にさらされた人はほとんどいないから、危機感が全く欠如しているのではないか。明治維新をリードした日本人はどこにいってしまったのか。

6.他方で、そういう私も、実は、偉そうなことはいえない。これまで私は、子供の教育については、典型的な「評論家」で、単に今のやり方を批判するばかりで、行動面では受身そのものだった。家内が、他のお母さん達並の受験戦略をたてて、その実施への協力要請をしてくるのに対して、面倒くさいなと思いつつ、協力しないとさらにやっかいなので従ってきたというのが正直なところだ。協力といっても、娘の幼稚園受験の際に、印象をよくするために、ちょび髭を剃って親の面接に臨むといった程度の協力だった。私は、企業社会の大きな変化は所詮仕事の世界のことで、子供の教育の世界とは別物と、無意識に分類して、すませてしまっていたのだ。
7.それが、昨年末、日本への出張から帰る飛行機の中で、ふと、このままではいけないと思い始めた。そして、次のようなことを考えた。一言でいえば、日本人の子供が、将来、グローバルに通用する自律・共創型の人材に育つために、何をすべきか考えた。正直いって、しらふでは考えれなかった。ワインの力と空中を飛ぶ感覚の力をかりて、「そんな非現実的なこと考えてもむだだ」という内なる批判の声を封じ込めて、はじめて思考(妄想?)が成立した。
基本戦略は、
1.ゴールイメージたるグローバルタレントの要件を明確化する(これは、仕事でかなりやっている。アスピレーション・ビジョン、現状直視、問題解決、リーダーシップ、その他)
2.子供の側の状況を分析する。子供のコーすを人材ポートフォリオ的にセグメントして、1)伝統的エリートコーす(日本の一流大学を受験していくコーす)、2)日本を迂回して直接グローバルに走るコーす、3)ゲームその他の新しいデジタルキッズ・コーす、4)すし職人・歯医者さん・お坊さん等、その他日本の伝統職人コーす。
それぞれのコーすにそくして、起業家・プロを育てるために、あ)教材(ワイアット的人材マネジメントのノウハウを認知科学その他でうんと補強する)、い)機会の場つくり(塾や海外の教育機関との連携)、う)メンター組織(企業人や退職者や海外の人を動員)の3要素を充実させる仕組みを考えていく。
3.結果イメージとしては、10〜20年後に、日本の若い人が、主要グローバル企業の中枢や、国際機関の中枢で活躍している。その他の日本の若い人も、それぞれの器に応じた自律的な喜びの世界にはいっている。
基本戦略のところは、今、詳細にわたり、いろいろな人の協力をえて、書きこみつつある。
もしこの問題に関心をもっている方がいらしたら、ご一報ください。1時間でも一対一で話ができればと思っています。

キャメルへの連絡先
info@camelyamamoto.com



Globally Talented Youth

Globally Talented Youthは、キャメルがシリコンバレーで構想を練った「10代日本人からグローバル人材を輩出するプログラム」である。つまり「教育プログラム」。キャメルの子供がちょうど、9歳と11歳だったときに考えた(彼らは今、10歳と12歳)。


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